1952年,占領が終わる頃,日本はアメリカにとって鍵となる同盟国となり,アメリカの作曲家,音楽家,そして民族音楽学者たちにとっても重要な存在となった。日米で国境を越えて起こった数々の音楽の交流は,冷戦期にも特に印象的なものだ。まず,私はそのような米日関係における音楽外交のなかでも,ヘンリー・カウエルとアラン・ホヴァネスのような作曲家における「雅楽」の影響について焦点をあてて話したい。
1961年の東京での東西音楽対話は,西側の国々が日本に対する関心を刺激するきっかけとなった。この問題について,私は文化自由会議資料館で行った調査をもとに議論する。合衆国では,有名なオリエンタリズムが,アメリカの冷戦戦略と同じ路線で,公衆の感情を左右していた。ジャポニズムの作品における同じような書法とその影響はジャズやハリウッドの音楽にも見られる。ここで例示したいのは,フランツ・ワックスマンの1957年の映画《さよなら》の総譜である。
最後に,もう少し長い期間にわたる東西音楽の出会いとして,カリフォルニア大学,ロサンジェルス,ウェスレイアン大学での日本音楽の存在について指摘しておきたい。これらの大学や研究所で日本音楽が教えられることによって,ポール・チハラ,ロイス・バーク,リチャード・タイテルバウムに,深いところで影響与えた。冷戦の影響としての音楽のジャポニズムは,今日でも音として響き続けているのである。
リンク
[1] http://www.h.kobe-u.ac.jp/sites/default/files/general_event/20190316_event.pdf
[2] http://www.h.kobe-u.ac.jp/ja/about
[3] http://www.kobe-u.ac.jp/guid/access/rokko/turukabuto-dai2.html