第2回 報告
- 題目
- 乳幼児教育実践の質の維持・向上を図る実践研究~エカーズを中心に~
- 講師
- 埋橋玲子(同志社女子大学)
- 会場
- 鶴甲第2キャンパス F255(高度教員養成プログラム室)(F棟2階)
- 日時
- 2018年6月15日(金) 17:00~18:30
- 報告
- 本講演では,Early Childhood Environment Rating Scale(ECERS)が諸外国でどのように乳幼児教育の質の維持・向上を図るツールとなされているか,ECERSの評定方法について,日本における園でのエカーズを活用した保育の質の向上に関する実践例を通して解説された。例えば,(1) Early Childhood Environment Rating Scale(ECERS)は,世界各地で乳幼児期の保育環境の質を測定するアセスメント方法として活用され,すでに20を超える国々で使われ,16の国で公刊されていること,(2)ECERSの内容と評定方式ECERS-3では,6のサブスケールに分類された35項目について,3時間程度対象となるクラスの保育を観察し,10前後の指標に基づいて7段階(1~7点)で評定を行うこと,(3)自己評価と保育の質の向上のツール:ECERSは園内での保育の質を向上させるためのツールとしての利用だけではなく,自己評価,考察的な実践,質の向上計画に利用することが可能である,等であった。
質の高い保育を保証し,実践していくためにスケールを活用することは,保育を評価するためだけではなく,数値を根拠に保育実践について保育者間で考察し合うことを通し,保育の中での子どもと保育者の関わり,環境構成について具体的に計画し実践をすることを可能にすることを再認識した。保育者が評価を目的ではなく,日本の保育の質の向上にECERSをツールの一つとして様々な評価尺度も活用できる必要性があると考える機会となった。(人間発達専攻 M3古賀志津香)
第3回 報告
- 題目
- どの子も見捨てず,人を信頼する教育を-子どもたちの心の声に耳傾けて-
- 講師
- 土佐いく子(和歌山大学非常勤講師,元大阪市小学校教諭)
- 会場
- 鶴甲第2キャンパス F255(高度教員養成プログラム室)(F棟2階)
- 日時
- 2018年7月20日(金)17:00~18:00
- 報告
- 本講演では,今日の子どもを理解し,どう寄りそうかに焦点をあてて,子どものあらゆる表現から,子どもの声を聴くとは何か,教師はどうした子どもの声を聴きとれるか,学級崩壊したクラスの子どもの中に何かを叫んでいるかについて解説した。例えば,①「のぼり棒に登れてよかったね」と抱く,あれ?抱かれない…「人間って1人で死ぬん」などの表現からどんなSOSや願いを読みとるのか,②作文教育を通して,子ども観について学ぶ…サークル・研究会の学びを通して,様々な体験の中から子どもの声を聴きとれる,③学級崩壊したクラスの子どもの心の中に「勉強わからん,どうせアホやもん,ほっとけ…教師面するななどを叫んでいる。この叫びを受け止めて,学級・学年再生の取り組みの始まる。
親や教師の多忙さ,余裕のなさ,競争主義,能力主義を背景に子どもが本当の姿を出しても受け止めてもらえない。いや,不安,焦り…負的感情を出しにくいから,攻撃性に移していく。どの子も捨てず,子どものあらゆる表現から子どもの声を聴き,子どもの本当の心を受け止めるという人を信頼する教育が大事とされている。(人間発達専攻 M1肖怡)
第4回 報告
- 題目
- 算数科授業における数理認識の発達を促す相互行為のあり方
- 講演者
- 下村岳人(島根大学)
- 会場
- 鶴甲第2キャンパス F255(高度教員養成プログラム室)(F棟2階)
- 日時
- 2018年9月28日(金)17:00~18:30
- 報告
- 本講演の題目は,「算数科授業における数理認識の発達を促す相互行為のあり方」であった。講演者は,子どもを活動させることが目的となった形骸化した授業に問題意識をもち,研究を進めている。Lampert(1995)の先行研究等を基盤に算数を自ら数学の知識を生み出していく創造の場と捉え,以下のような事例を元にこれまでの研究を紹介してくださった。
(1)分数の実践(3年生)
→子どもを均質なものとして公教育では見てしまいがちだが,均質ではない子どもが混在した学級におけるディスコースの様相を発話分析から捉え,主張することを目的とした研究。
(2)式の読み取りの実践(3年生)
→「数学を理解するとは,数学言語を使えること」という理論をもとに算数がわかるということを実証的に捉えようとした研究。
(3)切手の組み合わせの実践
→子どもが見いだし説明する過程を重視した算数・数学の授業づくりに必要な4つの工夫を見出した研究。
どの研究も主観的に主張するのではなく,理論的な枠組みをもってきて分類するということを大切にされている。またこれまでに膨大な量の発話分析をされているが,その背景には子供の実態を詳細に見取り,それをもとに研究を進めるという一貫した姿勢で研究されていた。(人間発達専攻 M1 赤川峰大)
第5回 報告
- 題目
- 対話による授業リフレクション -授業を語り-聴き合うことを通して実践知を培う-
- 講師
- 兵庫教育大学 宮元博章 准教授
- 会場
- 鶴甲第2キャンパス A427(A棟4階)
- 日時
- 2018年10月19日(金)17:00~18:30
- 報告
- 第5回セミナーでは,従来の授業研究とは異なる新しい授業リフレクションの形としての「対話による授業リフレクション」について,その理念と方法を学んだ。
「対話による授業リフレクション」とは,行為を文脈や状況に即して吟味に乗せ,当事者の視点から意味を探る思考である「行為の中での省察(reflection in action)」を,対話を通して行うことにより,授業者に何らかの「気づき」が生まれることを目指すものである。教員が実践の中で培う知識や技は言語化することが困難な「暗黙知」「実践知」であるため,このような「知」を捉える上では,当事者の視点からの語りが重要な意味を持つ。
また講演の中で,授業リフレクションの簡単な体験も行った。その方法は,自分が行った一つの実践について,KJ法を用いてキーワードを書き出し,整理する。ペアを作って語り手と聴き手(プロンプタ)に分かれ,語り手はキーワードに触れながらその意味を説明し,聴き手は応答しながら模造紙に語り手の言葉を書き込んでいく,というものである。ここで聴き手は,授業者の語る言葉を重視し,相手の言葉を否定的に受け止めずに常に肯定的に言葉を返すよう留意する必要がある。
以上のような,「対話による授業リフレクション」という方法は,教員の質の向上が目指されている今日において,非常に重要なものであると考える。従来の授業研究では,授業者に対して第三者の視点から一方的に批判したり,評価したりする形になってしまうことがしばしばある。それに対し,この「対話による授業リフレクション」の目的は,授業者の意図や,授業者自身も意識していなかったような枠組みを明確にし,授業者の新たな「気づき」を促すことである。このように,授業者が自分自身の枠組みに「気づく」ことは,教師の成長に大きな影響を与えるものになるだろう。(人間発達専攻 M1 大和あさひ)
第6回 報告
- 題目
- 教育のグローバル化を考える-家族でのモザンビーク駐在の経験を通して
- 講師
- 庄司喜美子(元・神戸市小学校教諭)
- 会場
- 鶴甲第2キャンパス A427(A棟4階)
- 日時
- 2018年12月21日(金)17:00~18:30
- 報告
- 本講演では,元神戸市小学校教諭で,現在モザンビークで暮らしておられる庄司喜美子さんご家族から,主に,①モザンビークの現状,②モザンビークでのインターナショナルスクールの経験,③日本とモザンビークとの違い,について紹介していただいた。
まず,両国の国民性の違いについて,庄司さんは寛容さを挙げられた。つまり,日本では公共サービス,子どもなどへの過度な期待,また常に時間に追われているように感じる一方で,モザンビークではそうしたものはないとのことである。庄司さんは,その要因は,いつでも欲しいものが手に入るわけではないモザンビークの環境,そして,子沢山であることから,子ども一人に対して過度の重圧がかからないことではないかと考察された。
また,こうした国民性の違いは,教育現場にも見られる。モザンビークでは,保護者と学校教員との距離が非常に近く,一緒に子どもを育てていこうという一体感がある。さらには,日本のようにある画一の到達目標に基づいて成績をつけるのではなく,子ども一人一人がどれだけ成長したのかを見るという。日本では子ども,教員が常に何かに追われている,また縛られているのではないか,という庄司さんの言葉は大変示唆的であった。
その後,それではモザンビークの教育観を日本での学校現場に持ち込めるのか,教える内容が膨大にあり,カリキュラムをかつかつに固めざるをえない日本の教育をどう考えるのか,など様々な質問が飛び交った。そもそも,子どもにとって学校とはどういった場であるべきなのか,つまり学校の役割についても議論を深めた。
本講演は,モザンビークと日本の環境,国民性や教育観を比較していく中で,日本の現状,教育現場を振り返る大変貴重な機会となった。(人間発達専攻 M1 松山航平)